終わりはあっさりとやってきた。
大地の王ドラホミールが、月の王の首を討ち取ったのだ。
おかげで全天に三つあった月は一つになり、その呪いで作物が実らない不毛の大地が出来上がった。
これまで竜王の加護の元にない土地ですら粗末ではあるが確かに実りはあったのだ。なのに、よりにもよって竜王たちの大地が呪われるなどという話は凶つ星ですら聞いたことがなかった。
「奴ら、とうとう全面戦争に打って出るつもりだな。月の王を殺すということはそう言うことだ……畜生、首を一つ取り損ねた」
そうは言ったものの、王たちの戦乱の気配に比例するように凶つ星の力もまた衰えていった。
元々が竜王への憎しみや妬みから生まれた存在は、王の数が減れば当たり前のように力をそがれていく。彼らは光で星は陰。彼ら傷つけば星も同じだけ傷つくようにできていたのだ。
「ファーレンテインが動いた。竜王どもで殺し合いを始める前に俺を殺すつもりだ。俺一人が死んだところで、天空の王は傷つかないという訳か」
「どうして、ファーレンテインさまが……だって、そんなことをしたら王さまたちが」
世界は凶つ星を敵とみなした。
きっと星が堕ちようとも、竜王どもは傷一つつかないに決まっている。それまで数多の悪意を星として殺してきたファーレンテインが健勝なのはそういう意味だ。
震える少女を抱きしめて、凶つ星は空を睥睨した。
「死んでしまうの、お星さま」
「……君はファーレンテインの所に戻った方がいい。姉がいるのならば無下には扱わんだろう」
「やだ、お星さま」
凶つ星は――自分でも認めたくないことではあるが――この哀れな少女を愛しいとすら思っていた。
肉親に見捨てられ、縋るべき竜王にも棄てられ、そして世界の敵として凶つ星の傍らに立ち続けた。
けれどそれは、死を持って償わなければならないほど重い罪なのだろうか。
何一つ彼女の意思が伴わない行動に、下される罰などあるのだろうか。
剣を手に取った凶つ星はそっと彼女の唇にキスを落として、肩を押す。
「人間の君は、いつか俺を忘れるだろう。それでいいんだ」
きっと、星は彼女を忘れない。
例え竜王に討ち滅ぼされても、どんなに時を重ねても、彼女を愛した気持ちを抱えたまま世界にあり続ける。凶つ星とは――『悪意』とは、そういう存在だ。
「ミア……君の名前だ。つけてやると言って、とうとう呼ぶこともなかった」
「ミア――」
私のもの。
そう意味づけられた名前に、とうとう少女は大粒の涙をこぼした。
「いや、まだたくさん呼んでもらいたいの。私の名前、もっと呼んで」
星は、何も言わなかった。悲しげに微笑んで彼女を送り出そうとした瞬間に、静寂が訪れる。
「……え?」
目の前で崩れ落ちる少女の、ミアの体を抱きとめた星の胸に、鋭い痛みが走ったのはその時だった。気道をせり上がる血液に凶つ星もまた体勢を崩して、それでも彼女の体が地面に叩きつけられないようにと力を振り絞る。
「二の君、ご苦労様。凶つ星へのおとり……上手にできました」
優しげな声が、空のかなたから降り注ぐ。
天空を切り裂き、大気を走る雨の槍――空の王ファーレンテインだ。
二撃三撃とその攻撃が繰り出されるのを、星は身を挺してミアを庇った。それでもよけきれなかった雨の槍が彼女の体を貫いていくのに耐えきれなくなって、彼は懇願するように叫ぶ。
「やめろ、やめてくれ! ミアが、彼女を痛めつけるのは……やめろ……ミア、ミア、返事をしてくれ」
自らも体のあちこちを穿たれながら、それでも星は何度も彼女の体を揺さぶっては呼吸を取り戻そうとする。けれどどんな魔術を使っても、どんな手段を駆使しても、彼女の鬱金の瞳が開くことは二度となかった。
「ミア? どこか、痛いのか……? すぐに治してやる。俺が、もう……」
目の焦点が合わなくなって呼吸が乱れても、星は彼女の側から離れようとしなかった。
やがて訝しむように攻撃の手を止めた空の王が、あざけるように鼻を鳴らす。
「滑稽だね、忌々しい凶つ星よ。彼女はもう死んでいるのだから、痛みも苦しみもとっくに感じていないはずなのに」
「死……?」
幾多の悪意が彼に殺された。
だから死の意味は、凶つ星も十分にわかっていた。
時間の停止、息吹の終わり。そして永遠の別れ。
けれど体温を失いゆく彼女の体を抱きしめた彼の口からこぼれたのは、安堵の息だった。
「そうか……ミア、君はもう苦しくないんだな。もうなにも、君を傷つけるものはないんだな……」
そうしてようやく、凶つ星は力なく地面に倒れた。
空の竜王が冷ややかな視線で彼を見下ろしてくる。鬱金の瞳と白い髪。眼の色は彼女と同じだが、どことなく作り物じみているようだった。
「人間を愛してしまうだなんて、君は莫迦だね。彼女を庇うことがなければ君は私の首を落とすことができただろうに」
凶つ星は、もうそんなことはどうでもよかった。
愛しいひとの体を抱いたまま、朽ちゆくのを待つ。
それでいい。それが、全てを失った彼の唯一の幸せだった。
「……本当に、馬鹿な男だ。こんなことならもっと早く君を殺しておけばよかった。月の王が死んだせいで、僕ら竜王の力では君を完全に殺すことができなくなってしまったんだよ」
「なに……?」
「君を封じて、人間に落とす。星として永遠に消滅させられないことが悔しくてたまらないが……精々みじめったらしく眠っているがいいさ」
人間。
その言葉に、凶つ星の脳裏にはミアの姿が浮かんだ。
私のもの。俺のミア。
次に目が覚めたらその時は、きっとその時は――
「首を落とし、四肢を削げ。少女の遺体は燃やし、空に還してしまいなさい……哀れだね、凶つ星。七番目の竜王、バルタザールよ」
ファーレンテインのの声が遠くなる。
「ミア、次はきっと」
首が落ち、体が寸断されていく。
意識の深くに身を沈めながら、凶つ星バルタザールは微笑んでいた。
「次こそはきっと、君を守ってみせる」
To Be Continued……?