西の大国シュトレーゼ帝国は、先の戦争の原因を作った強固な中央集権制の国家である。七年続いた戦争は帝国やその他同盟国の敗戦で終了を迎え、その折に成年の王族や上級貴族、更には軍人までが処分を受けたはずだ。
当時の皇帝は僻地の教会で幽閉され、生きているのか死んでいるのかもわからない。
「ま、殺されないだけ運が良かったんだろうさ。親父も兄貴もあの戦争でおっ死んじまった。仮にこうして五体満足で出てきても、今のあの国じゃ元軍人ってだけで殺されかねねぇ」
「そんなに、荒れてるの……?」
「この国が天国みてぇに思える程度にはな。坊ちゃん皇帝が気張ってるが、ありゃ駄目だ」
ニヤニヤ笑いのままそう言うバルトロメウだが、アムニシェルにはいまいち彼が言う言葉の実感が沸かない。産まれた時から平和なこの国に住んでいる彼女にとって、両親や目の前の男が言う戦時中の世界はお伽噺の中の様な日現実感を伴っている。
「知らねぇ方がいいさ。特にこの国は、あァ、箱庭みてぇだ」
「……バール、本題に入るぞ。まあアミーも聞いてくれ。そういうわけでこの度めでたく浮浪者になったバール――このバルトロメウという熊男なんだけれども、こちらにはツテも何もなくてね」
一瞬低くバルトロメウを制したエドモンドが、取ってつけたような笑顔を張り付けてアムニシェルに向きなおった。
元科学者、自信も軍籍にあったエドモンドは、戦争に関する話題をとことん忌避しているきらいがある。
熊男と揶揄されてぶーぶーと文句を垂れるバルトロメウを無視して、痩躯の男は朗らかに続けた。
「家くらいならば私の口利きで何とでもなるが、問題は仕事でね。彼は十五年刑務所に突っこまれて、手先は器用だ。君の見立てに間違いはない。だが専門的な知識は持ち合わせていない。元軍人だけあって、体力は有り余っている」
一つ一つ、条件を指折り数えるエドモンドにアムニシェルは首を傾げた。何というか、回りくどいのだ。さっぱりした性格の彼には珍しく、何を言いたいのかが明確になっていない。
おじさん、と疑問を投げかけると、面長の紳士然とした表情が目に見えて引き攣った。
「おじさんごめんね、何が言いたいのか、わからないの」
「あ、ああそうだね、私が難しく言い過ぎたのかもしれない、ああ」
まったくもって、「らしくない」。悠然として時々クールな彼の人となりを知っている側からすればどこか不安や不信感さえ覚えそうなほどに、エドモンドは挙動不審だった。
「お、おい待てエディ! テメェまさかこのちんまいガキンチョに」
「ガキンチョ!? ち、ちんまい!?」
追い打ちをかけるようにバルトロメウが口を挟む。
思わず声を上げたアムニシェルと彼の間で、エドモンドは頭を押さえながらしばらく静かに呼吸をして――。
「アミー、単刀直入に言おう」
そして、二人の口喧嘩を遮った。
「バルトロメウにこの店の一角を貸してあげてくれないか。職人見習いでもなんでもいい。彼をここに、この店に置いてやってほしい」
ぴゃっ、と、アムニシェルの金髪が一瞬舞い上がったように見えた。如何にも無骨そうなこの男を、14歳の少女が営む時計屋にどうやって置いておけというのだ。看板息子という位には些か年を食っているし、用心棒なんて置いたら商売あがったりだろう。
きょとんとしたままのアムニシェルの方を見て、エドモンドは申し訳なさそうに笑って言葉を繋げた。
「この熊男、もといバルトロメウ・ジェラルドは信頼に値する男だ。元軍人だが割と優しいし、これでいて女性には至極紳士的。零落したとはいえこれでも元帝国貴族だから、文字も読めるし計算もできる。手先も器用だ。君にしたって、力仕事が出来る人間がいるのは助かるだろう?」
確かに、父が死んでから力仕事がほとんどできないというのは悩みの種だった。見るからに力の強そうなバルトロメウの方を見て、アムニシェルは口をとがらせる。それにしたってこの男、さっきから人のことをちんまいだのガキンチョだのと些か失礼すぎるだろう。
それにバルトロメウの方にしても、エドモンドの提案に凄まじく理解不能といった表情をしている。彼の方からしてみてもいきなりこんな店に連れてこられて、相手を警戒するなという方がおかしな話だ。
「それ、おじさんのお店じゃ駄目なの?」
「いいけど、やっぱり彼の特性を生かすならここかなって思ってね。君のご両親とも面識があるし、特に君の父さんとは腐れ縁にも程がある。な、バール」
先ほどとは打って変わって、何とも言い難い表情でバルトロメウは皮の厚い手を撫でた。「まーな」と返す声は、どこか覇気がない。
「次に会ったらあのお綺麗な横っ面ぶん殴ってやるって決めてたんだが、俺より先に死んじまったんじゃ元も子もないわな」
「命を助けられたんだろう。お前はただでさえこの子に借りがあるんだぞ」
「……そーかい」
「アミーさえよければでいいんだ。少しだけ、考えてくれないか」
エドモンドの問いに、アムニシェルは大きな目を三度瞬かせて、コクリと頷いた。
「いいよ、おじさん。お父さんとお母さんの知り合いなら、いいんだ。きっと二人もそうしてあげなさいって言うから」
「あぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは、今度はバルトロメウの方だった。
「おいちょっと待てエディ! それに嬢ちゃんも、おかしいだろ普通!」
「まあ確かに見てくれはローゼンハイムよか劣っているかもしれないが」
「そうじゃねぇっ!」
バルトロメウは唾を飛ばしながら叫ぶと、訳が分からんと言って頭をかきむしった。汚いと言わんばかりにエドモンドがそれを見下ろす。
「自分で言うのもなんだが、俺ァ本当にそこらの浮浪者と変わらねぇんだぞ? 帝国貴族っつーのももう昔々のお話だ。身分を証明できるものもねぇし」
「えっとね、バルトロメウ……おじさん? この国は職人の徒弟制があるから、私の弟子ってことにしておけば自然と市民権が手に入るようになってて、つまりおじさんの身分を証明するにはそうするしかないって――それでいいんだよね、エドモンドおじさん」
ちらりと視線をバルトロメウからエドモンドに移したアムニシェルが、カウンターの奥から額縁に入った書類を一枚取り出す。そこに描かれているのは、工業ギルドから交付されるアムニシェル・アプリコット名義の許可証である。これを持っていれば、国外の人間であっても自分の徒弟として市民権の登録が可能だ。
元々戦争で流れてきた技術者たちを保護するための制度であるので、アムニシェル自身もそれを使う機会があるとは思っていなかった。
「私まだ駆け出しだし、ギルドも二種免許しか持ってないから人数制限あるけど……確かあれって、一種で十五人、二種で三人までだったはずだよ」
「流石だアミー。安心しろバール、彼女の実力はしっかり認められたものだし、ローゼンハイムも元々工業ギルドのマスターだった」
「俺が言いてぇのはそういう事じゃなくてよぉ……」
何故か自分で納得してしまったらしいアムニシェルも、最初からそのつもりで話を進めてきたエドモンドにも話が通じそうにない。
脱力したままバルトロメウは自分の腿のあたりに引っ掛けてあるベルトに触れた。銃のホルダーと一体型になったそこには、古い回転式拳銃が一丁押し込まれている。
ふとそれに目を向けた店主は、「それなに?」と興味ありげに手の中を覗き込んだ。既に彼女は職人として、知的好奇心や便利さの方へ天秤を傾けたらしい。清々しいまでの打算や人を疑わないところは、ある意味子供らしいと言ってもいい。
「あぁ、こりゃ拳銃だよ。モルテーニ社の0098型。俺の相棒だが、もう十五年手入れもなしでほったらかしにされてたんだ。国外追放と同時に返してもらったけど、こりゃもう使えねぇな。中に埃が詰まってあちこち錆びて、下手に弾薬入れたら暴発もんだぜ」
モルテーニ社と言えば、オムニェル=スタング連邦共和国の市警軍や自警組織でも護身用拳銃が広く使われている会社である。名前も聞いたことがあるし、母親が書庫に残した膨大な「レシピ」の中には、旧型の回転式拳銃についての記述があるかもしれない。
「それ、私が直そうか? 回転式拳銃なら、多分大丈夫。最新型の自動小銃とかは無理だけど」
「ほ、本当か?」
「うん。一応時計屋ってことになってるけど、やっぱりそれだけじゃ老舗に負けちゃうし。お父さんの代から、機械ならなるべく仕事を請け負うようにしてるんだ」
ともすれば頼りなく見えるアムニシェルの瞳が、その時はしっかりとした自信を伴ってきらめいていた。
先ほどから彼女が見せる職人としての表情に、思わずバルトロメウは生唾を飲みこむ。あまりに、記憶の中の彼女の父と似ているのだ。似すぎていると言っても過言ではない。
「……代金に出来るようなもんはねぇぞ」
「だから、その代わりにここにいてよ。最近大きなものを動かすとか、そういう仕事も増えてきたの。それにおじさん、手先が器用なんでしょ? 大きな時計台とか、今後そういう仕事を請け負う時に私一人じゃ出来ないこともあるし」
しっかり者に育っただろうと微笑むエドモンドに舌打ちをかましながらも、バルトロメウは古びた銃を小さな職人に手渡した。弾丸は全て抜いてあるから、危険はないはずだ。
「分かった、わかったよこの野郎! こうすりゃいいんだろ」
そう言うとバルトロメウは適当な木の板に、ペンで何かを殴り書きしていった。そして書きあがったかと思ったらすっくと立ち上がり、店の外に出してある看板にその木の板を取り付けていく。
「ちょっと、何して……」
「ホレ、これで文句ねぇだろ。だがな嬢ちゃん、「おじさん」はいけねぇ。俺だってまだ三十六だし、仮にもアンタは俺の師匠ってことになる」
十四歳から見れば、三十六歳は割とおじさんであるが、その事はさておくとして。
飾り気のない木の板に、小慣れた風の飾り文字が並ぶ。
『便利屋バルトロメウ 只今就業中!』
恐らく「修行」と書きたかったのを綴りを間違えたのか、それともわざとなのかはよくわからない。ただ新しくカスタマイズされた看板を見て、バルトロメウは満足げに息を吐いた。
「どうよ嬢ちゃん」
「その嬢ちゃんってのもどうなの……うん、看板はすごくいいと思うけど。手先、ホントに器用なんだ」
「おうよ。あー、じゃあ、アミー?」
出来上がった新しい看板をしげしげと眺めているエドモンドは、アムニシェルをそう呼んでいた。彼と家族以外に愛称で呼ばれるのは、彼女にとって初めての経験である。
僅かに顔を赤くしたアムニシェルは、何と言ったものかと複雑な表情を幾つか浮かべたあと、勢いよく左手を前に突きだした。
「よ、よろしく。……バール!」
同じようにエドモンドが呼んでいた愛称で呼び返してやると、彼の方もニヤリと笑ってその細い手を掴んでくれた。触れるとなおわかる、皮が固くて肉厚な、傷だらけの手だった。